12.小湊神社の三十番神
総門を通らず境内に沿った道路を寺務所へ向かうと、入り口の坂道のすこし手前右側に大きな鳥居が見えます。三十番神(さんじゅうばんじん)をお祀りする小湊神社です。現在は誕生寺から独立していますが、本来は誕生寺の鎮守社です。明治初めの神仏分離の時に、神様をお祀りしているということで地元小湊地区の神社として誕生寺から分かれました。
三十番神社は、1カ月30日の間、毎日交替の当番で法華経の信仰者を守護する、日本国の所々にお祀りする三十の神様のことです。その順番は、1日を熱田(あつた)大明神とし、以下順に2日諏訪、3日広田、4日気比(けひ)、5日気多(けた)、6日鹿島(かしま)、7日北野、8日江文(えぶみ)、9日貴布弥(きふね)、10日伊勢、11日石清水(いわしみず)、12日賀茂、13日松尾、14日大原野、15日春日、16日平野、17日大比叡(おおびえ)、18日小比叡(おびえ)、19日聖真子(しょうしんじ)、20日客人(まろうど)、21日八王子、22日稲荷、23日住吉、24日祇園(ぎおん)、25日赤山(せきさん)、26日建部(たけべ)、27日三上、28日兵主(ひょうず)、29日苗鹿(なえか)、そして30日を吉備(きび)大明神とするのが一般的です。ご先祖の戒名を記する過去帳にも、日付ごとに神名が記されているものがありますから、気のつかれた方もあるでしょう。
三十番神は、平安時代に起源をもちます。第三代天台座主の慈覚大師円仁は、比叡山において法華経の如法書写を行い、首楞厳院(しゅりょうごんいん)を建立しました。この時、教典ならびにお堂の守護のために神々をお祀りしたのです。はじめは十二支の日々にあてて十二神でしたが、延久5年(1073)に良正阿闍梨が18神を選び、三十番神が完成しました。
日蓮聖人は、日本国の神々について天照大神、八幡代菩薩を代表とみられました。この2神は、釈尊が霊鷲山で法華経をお説きになったとき聴衆としてその場に連なったとされ、曼荼羅本尊にも勧請されています。神々は、法華経の法味によってはじめて力を発揮することができるのです。三十番神とても同様であることは言うまでもありません。
日蓮宗で三十番神をお祀りするようになったのは、日蓮聖人の弟子の時代からで、その早い例は中山法華経寺の第二世となった日高上人と、日蓮聖人から京都への布教を命ぜられ京都妙顕寺を開かれた日像上人です。これより以降、盛んにお祀りされるようになり、特に名古屋の定徳寺、長崎の護国寺、新潟県柏崎の妙行寺は、三大三十番神として有名です。
誕生寺に三十番神がお祀りされた時期ははっきりしませんが、二十六世日孝上人が記した「小湊山二十四境」に「番神社」が挙げられ、元禄13年(1700)の「房州長狭郡内浦之内市川村と小湊諍論ニ付裁許絵図」にも鳥居のある建物が描かれていますから、江戸時代初期にお祀りされていたことは間違いありません。
現在の社殿には、30のご神像が1つの厨子に安置されており、毎月1日や祭礼に誕生寺の役僧が祖師堂で、ついで社殿に出向き、お守りする地元の人々と共に海上安全、大漁満足の祈願を込めて読経します。