千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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13.誕生水の井戸

13.誕生水の井戸

はじめに

誕生寺の境内には、総門前の寺号碑をはじめ供養塔、記念碑など多くの石碑が建てられています。普段何げなく見過ごされていますが、そこには様々な銘文が刻まれ、誕生寺の信仰と歴史を静かに語っています。このような銘文は、石碑ばかりではなく、水屋の水盤や石灯籠などにも見られます。

そこで、境内を巡りながら、石碑を中心にこれらのものを見て行こうと思います。

 

誕生水の井戸

総門を入ると参道の左側には低い生け垣があり、きれいに整備されています。その生け垣に囲まれた一角に、大きな四角い石がおかれているように見えます。日蓮聖人がお生まれになったとき、産湯に使ったと伝えられる誕生寺の井戸です。左手前には、正面に「誕生水」、右側に「うふ水」と刻まれた高さ一メートル程の石柱が標識に立てられていますから、足を止めた方もいらっしゃるでしょう。

日蓮聖人が小湊の地で呱呱の声を上げられたのは、貞応元年(1222)2月16日、時刻は午刻といいますから現在の午前11時から午後1時の間です。このとき、不思議なことに生家の宅辺で俄に清水が涌き出しました。家人は、早速清水を汲んで産湯に使ったのです。こんこんと涌き出る水は、どのような日照りにも涸れることがなかったといいます。

その後、明応7年(1498)の地震・津波によって聖人誕生の旧地に開かれた誕生寺の寺域は海底に没したため、現在地に再建されましたが、不思議にも新たに清水が涌き出しました。そこで旧地を偲んで名を襲い、今に日蓮聖人誕生の奇瑞を伝えているのです。石造りの井戸枠は、一辺が1メートル27センチの正方形で、高さは53センチですが、最近造られた囲みによって埋められた部分を含めると75.5センチあります。厚みは20センチもあります。このようにかなり大きい井戸枠ですが、複数の石材を組み合わせているのではなく、一個の石材を刳り貫いて造られたものです。

井戸枠の正面には、7行に亘って銘文が刻まれています。残念ながら石の風化によって判読できない文字がありますが、おおよそ「造立し奉る井筒・・・・・・武州江戸侍従真善院・・・・・・敬って白す。・・・・・・寛永第十・・・・・・年二・・・・・・吉日」と読め、寛永十何年かに造立されたことが判ります。寛永十年代(1633~42)は、長遠院日遵上人が第19世貫首として在住中です。手前に立てられた標識の石柱も、年号は刻まれていませんが江戸時代のものです。

その後の調査により、日遵上人の自筆文書中に「寛永18年(1641)辛巳2月中旬誕生水之井筒願主小侍従」とあることが見出されました。現在の井戸枠は、この文書に記されているものに相違ありません。

井戸枠は、近年まで覆い堂に覆われていました。このお堂は嘉永6年(1853)に建てられたもので、老朽化して危険なため解体され、周囲は五十万人講事業の一環として整備されました。誕生水は、蓮華潭と並び日蓮聖人誕生の霊地として真にふさわしい遺跡なのです。