千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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17.日蓮聖人五百遠忌報恩塔

17.日蓮聖人五百遠忌報恩塔

波除け宝塔の右手には、もう一基大型の題目宝塔があります。塔身は所々補修されていますが、頂部の側面を丸め、高さ2.19m、幅59cm、奥行き46cm、高さ28cmと54cmの二段の台石に載ります。さらに高さ58cmの台座の上に据え付けられていますから、総高は3.58mにもなります。

塔身の正面には南無妙法蓮華経のお題目に続いて「日蓮大菩薩」、その両脇に「五百遠忌」「報恩謝徳」と刻まれており、日蓮聖人の五百遠忌に報恩感謝の誠を捧げるために造立された題目宝塔であることが判ります。日蓮聖人を「大菩薩」と尊称することは、この題目宝塔に限らずしばしば見られます。「大菩薩」は一般的な尊称ではなく、「大師」「国師」号などと同様に朝廷から賜ったものです。南北朝時代の延文3年(1358)夏大旱魃があり、京都妙顕寺の大覚上人は時の後光厳天皇より祈雨の修法を命ぜられました。大覚上人の修法は効験を顕わし、その功績によって日蓮聖人に「大菩薩」号、日朗上人・日像上人に「菩薩」号を賜わり、自身は大僧正に任じられたことに始まるのです。

この宝塔が造立されたのは三十六世貫首円法院日融上人の代で、明和7年(1770)8月13日とあります。日蓮聖人が入寂されたのは弘安5年(1282)のことでしたから、五百遠忌ご正当は天明元年(1781)になります。ご正当より11年も早い造立に、50年に一度の遠忌に巡り会えた人々の意気込みが感じられるようです。

造立の願主となったのは円信房日立上人で、「武州江戸鮫ケ橋」とあります。鮫ケ橋は「さめがはし」と読めますから、鮫河橋でしょう。これは江戸の山の手、現在の新宿区若葉の一画にあたります。江戸時代、この地には誕生寺の末寺である法善寺(現在は千葉県夷隅郡大原町に移転)がありましたから、日立上人は同寺の住職ではなかったかと思われます。残念なことに、同寺には火災や移転の混乱などによって江戸時代の記録が伝わっていないため未詳です。造立費用は、日立上人の主唱のもと多数の檀信徒によって寄進されたものでしょう。

宝塔は当初総門前の田町の辻にありましたが、昭和2年6月、県道の拡張に伴い現在地へと移転されたことが台石に刻まれています。