19.日蓮聖人六百遠忌報恩塔
祖師堂手前の左右には、対をなすようにして見上げるばかりの大きな石塔があります。このうち左手の石塔は、塔身の高さ1.88mで61cm角、蓮台などの台石の部分が1.61m、さらに基台が1.85mありますから、総高は5.34mにも達します。塔身の正面には南無妙法蓮華経のお題目、右面に「南無日蓮大昔薩」、左面に「六百遠忌報恩塔」と刻まれており、日蓮聖人の六百遠忌報恩のために造立された題目宝塔であることが判ります。
誕生寺に現存する日蓮聖人遠忌報恩塔では、五百遠忌報恩塔が最も古く、次いで六百遠忌となります。五百五十遠忌(天保2年、1831)の時は宝暦8年(1758)の大火災からの復興の最中でしたから、遠忌報恩塔は造立されなかったのかも知れません。
遠忌とは、遠く歳月を経過した後に行われる忌日法要のことです。各宗派では、宗祖やそれに準ずる高僧の年忌が50年、100年とまとまった場合に盛大な法要を行い、これを遠忌といいます。日蓮宗では、宗祖日蓮聖人をはじめとして六老僧、各本山の開山上人などの遠忌を行っています。
日蓮聖人が入寂されたのは弘安5年(1282)10月13日のことでしたから、六百遠忌のご正当は明治14年(1881)になります。この年、ご正当の報恩法要は、各本山で盛大に行われました。京都本圀寺では4月8日から10日間、日蓮宗大教院では6月25日から5日間、池上本門寺では10月12日から(期間は不明)、中山法華経寺では11月11日から10日間、身延山久遠寺では11月13日から23日間と、いずれも数日から数十日という期間でしたから、各地から多数の信徒が参詣されたことでしょう。
誕生寺では、当時の詳しい記録が見つかっていませんから、残念ながら法要の日程などは明らかではありません。報恩塔の造立日は塔身裏面に「維時明治十四年辛巳四月十三日」とありますから、法要は4月に行われたのかも知れません。当時は、五十八世貫首山本日諦上人の代です。
報恩塔の造立は、誕生寺の末寺とその檀家有志、さらに万人講の信徒と、多数の人々の寄進によってなされたことが台石に刻まれています。工事は東京芝の池田氏が請負人となり、石工棟梁に同所の渡辺氏、土方棟梁に上総釈迦谷の君塚氏、石工に安房天津の音尾氏が当たっています。