千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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22.日天子の石塔

22.日天子の石塔

誕生山寺の碑の右手に、どっしりした大型の石塔が一基あります。塔身の正面に「奉貴敬帰命大日天子」と刻まれた、日天子(にってんじ)をお祀りする石塔です。

頂部に丸みをつけた四角柱の塔身は高さ1メートル36センチほど、高さ52センチの台石に載ります。塔身は四面共に周囲を額縁のように残して彫り込まれ、そこに銘文が刻まれています。正面には、更に右上に雲に乗った日輪、左上に同様の月輪を浮き彫りにしています。

日天子は月天子(がってんじ)・明星天子(みょうじょうてんじ)とともに三光天子の一つです。インドでは本来太陽を神格化したバラモン教の神様でしたが、仏教に取り入れられて仏教の守護神となりました。宝光天子ともいい、釈尊が霊鷲山で法華経をお説きになった時にも、聴衆として座に連なっています。

日蓮聖人は、日天子について「法華経の行者(ぎょうじゃ)あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼をいからして其国をにらみ給ふ」(『松野殿御返事(まつのどのごへんじ)』)と、法華経信仰者を守護する善神であることを明らかにされ、曼荼羅本尊にも「大日天王」として勧請されました。日蓮聖人が頸を切られようとした龍口法難の時、聖人に殉じようとした四条金吾も、守護神として日天子を篤く信じていました。

日天子は、また日待講(ひまちこう)のご本尊としてお祀りされるようになります。日待講は、正・5・9月の1日や15日などを祭日として、一夜を眠らずに籠り明かし、日の出を拝してお祈りをする講です。

日天子の石塔は、元禄5年(1692)5月15日に小湊日待講によって造立されました。小湊村の人々によって営まれた日待講です。この頃の誕生寺は、守玄院日映上人が二十四世貰首に在住中です。銘文を見ると「奉開眼題目二千部成就」とあり、この日待講がただお籠りするだけではなく、お題目を唱える題目講であったことが判ります。題目一部とは南無妙法蓮華経のお題目を一万遍唱えることですから、石塔の造立にあたっては、講の参加者によって延べ二千万遍という大変な数のお題目が唱えられているのです。元は現在地の後ろの山を少し登った所にありましたが、地盤が崩れて危険なために今の場所に移されました。

小湊日待講はいつの頃からか行われなくなったようですが、誕生寺では、毎朝、祖師堂における勤行が終わった後、東方に向かって、日天子への祈念が行われています。