25.水難溺死法界供養塔
階段状になった無縁墓地の一画に、前に何本もの卒塔婆が建てられている石塔があります。塔身の正面に南無妙法蓮華経のお題目を刻んだ、題目宝塔です。頂部の角をわずかに丸めた塔身は高さ84センチ別材の蓮台と正面に「小湊永運講」と刻まれた台石の上に載りますから、総高は1メートル22センチとなります。
お題目の下には「水難溺死法界供養塔」と刻まれていますから、さまざまな水難によって亡くなった霊魂、さらには法界万霊、すなわち地獄の世界から仏の世界に至る十界に存在する全ての霊魂を供養するために造立された題目宝塔であることが判ります。
お題目の両脇には「願以此功徳普及於一切我等与衆生皆共成仏道(願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん)」と刻まれています。この文章は、回向文として有名な法華経化城喩品(けじょうゆほん)の一節で、「私が行った良いことの功徳を全ての衆生に差し向け、全ての衆生が仏の道を成就できますように」と願う言葉なのです。
水難溺死法界供養塔が造立されたのは明治27年(1894)5月、六十一世貫首豊永日良上人の代のことです。竹本妙栄尼を発願主として、小湊山永運講の信徒の力によるものです。「祈現安後善」と刻まれていましたから、講員の現世安穏後生善処の祈りが込められていました。
当時、妙栄尼は清正公堂の堂守です。妙栄尼と永運講の信徒が深い信仰で結ばれていたことは、水難溺死法界供養塔の造立後、明治42年(1909)に清正公三百年祭紀念碑を造立していることからも判ります。何れの造立も妙栄尼を発願主としていましたから、妙栄尼は永運講の指導者であったのでしょう。その後も妙栄尼は清正公堂をお守りして、大正3年(1914)に86歳の長寿を全うして亡くなりました。
水難溺死といえば、南関東一帯を襲った元禄16年(1703)の大地震と大津波が思い起こされます。小湊でも、150人を越える犠牲者がでました。そして平成7年は、北海道における地震・津波の被害の記憶もまだ新しいうちに、阪神・淡路大震災で5千を越える人命が失われました。誕生寺では旧盆を迎える8月10日、水難溺死者の総供養と檀信徒の志す霊魂の供養のために海施餓鬼会・灯籠流しを行っています。新盆を迎えた諸霊の菩提を弔うばかりです。