26.誕生堂参道の石灯籠
誕生寺の境内を見回すと、以外に石灯籠が少ないことに気づきます。その中で、誕生堂へと登る階段の両脇にある一対の石灯籠は、貴重な存在です。灯明を灯す火袋の形が六角柱をした六角型灯籠で、二段になった基壇を含めた総高は2m33cm程あります。火袋が笠・宝珠や竿などに比べて少し小さい感がありますが、全体としてはスマートです。高さ90cmの組石の基台に据えられていますから、階段の下からは見上げるようです。
石灯籠は、お堂のお参りする人々の足元を照らすための照明器具のように思われますが、そうではありません。お堂の間に立てて、ご本尊に灯明を奉納するための仏具なのです。その源流は中国に溯り、朝鮮半島を経て日本に伝えられました。元々はお堂の正面に一基立てていましたが、戦国時代末期頃から一対として立てるようになりました。また、室町時代以降になると、祈願のために寺院や神社に石灯籠を奉納することも行われるようになります。
誕生寺の石灯籠は、竿の正面に「奉献聖誕七百年記念」裏面に「大正十年二月十六日東京芝高輪渋谷喜代」と銘文が刻まれ、大正10年(1921)日蓮聖人聖誕七百年を記念して渋谷喜代氏が奉納したものであることが判ります。日蓮聖人が誕生されたのは貞応元年(1222)ですから、生年から数えて大正10年はちょうど七百年になり、各地で報恩の行事が盛んに行われました。珠算日本一で有名になった京都市の明徳商業高校の前身である明徳女学校の開設なども、その一つです。誕生寺においても、2月15日に記念法要、翌16日に日蓮宗宗務院によって記念の国祈祷会が行われました。
ところで、2月16日が日蓮聖人誕生の聖日であることについて、聖人ご自身が記すところはありません。「日蓮は東海道十五ヶ国の内、第十二に相当る安房国長狭郡東条郷片海の海人が子也」(「本尊問答抄)」などとあるのみです。誕生の日が明記されるのは、正慶2年(1333)頃に成立した日蓮聖人の伝記本である日道上人著「御伝土代」です。本書は、現在に伝わる伝記本の中で最も古い一本ですが、「後のほりかわいん(堀川院)の御宇貞応元年2月16日たんしやう(誕生)なり」とあります。当然の事ながら2月16日は旧暦ですから、西暦(ユリウス暦)に換算すると3月30日になります。日蓮聖人が誕生されたのは、暖かな風そよぐ春爛漫の房総だったのです。