33.歴代墓地の日蓮聖人石塔ほか
祖師堂左手の龍王堂へ至る通路の左側は、新旧の墓地がひろがっています。旧来の墓地に入ると、一画にひときわ大型の石塔が並んでいます。誕生寺の歴代貫首上人の墓域です。その中央に、一段高く石を組んだ上に珊を巡らし、周りの石塔とは形の異なる石塔が三基安置されています。中央が日蓮聖人、右側がそのご両親、左側が誕生寺二祖日家(にけ)・三祖日保(にほ)両上人の石塔です。
日蓮聖人報恩塔は、三重塔形の石塔です。相輪部分が欠けていますが、台座からの総高は2メートル24センチもあります。石材が大変風化している部分も見られますが、屋根の部分は瓦や垂木の彫刻を良く窺うことができます。銘文は発見されていませんから、残念ながら造立の年代や造立主などは明らかではありませんが、元禄年間に蓮華潭(れんげがふち)から移転したと伝えられています。元禄年間といえば、26世日孝上人が元禄15年(1702)に誕生山寺の碑などを造立し、この時に蓮華潭にも碑を造立したと考えられますから、この報恩塔はその折りに移転したものでしょう。
日蓮聖人のご両親の供養塔は、五輪塔に似た宝塔形の石塔です。先端部分が少々欠けていますが、総高1メートル32センチ程あります。塔身に相当する部分には、四面共に銘文が刻まれています。正面には、右側に父上の法名が「家父妙日尊儀」、左側に母上の法名が「家母妙蓮尊尼」と並んでいます。右側面は父上の命日「正嘉(しょうか)二年(1258)戊午二月十四日」左側面は母上の命日「文永四年(1267)丁卯八月十五」です。そして背面に、四十四世貫首日奏上人の造立であることが刻まれています。年月日はありませんが、上人が在住中の寛政12年(1800)から文化3年(1806)までの間に造立けされたものでしょう。
二祖日家・三祖日保両上人は、誕生寺の事実上の開山です。供養塔は細部の寸法に多少違いがあるものの、ご両親の供養塔と同一体裁で、総高は1メートル51センチ程、銘文の位置も同様です。四十七世貫主の日濤(にっとう)上人が再建したとあります。造立の年月日は他の石塔と同様にありませんが、上人が在住中の文化8年(1811)から文政8年(1825)までの間に造立されたものでしょう。日濤上人は、ご両親の供養塔の体裁に則ってこの供養塔を造立したのです。
これら三基は、日蓮聖人誕生の霊地に開かれた誕生寺にとって、最も大切な報恩、供養の石塔です。