34.歴代貫首上人の供養塔
祖師堂の左手、通路を挟んで一段高くなった墓地の一画に、歴代貫首上人の墓域があります。
奥手の中央には日蓮聖人、聖人のご両親、二祖日家・三祖日保両上人の供養塔3基が基台に安置され、その両側と前方へ石塔がほぼ横四列に立ち並んでいます。何れも歴代貫首上人の石塔です。奥から見て行くと、一列目は大体二十世代の前半まで、二列目は二十世代後半から四十世代、三列目は四十世代の一部から六十世代、四列目は七十世代の貫首上人の石塔で、その数は50基以上あります。これらの石塔は墓石であるのかというと、必ずしもそのようではなく、多くは供養塔であると思われます。
右側一列目左端の石塔は、塔身の高さ1メートル60センチ、傘石や台石を含めた総高は2メートル44.5センチと大型です。四角柱の塔身を見ると、正面に「四世日静聖人五世日承聖人六世日東聖人.........十四日就聖人十五日然聖人十六日領聖人」と五段にわたって刻まれています。四世日静上人から十六世日領上人に至る13上人の供養塔です。塔身の左側には「元文四己未天四月日」右側には「当山卅一世日泰営之」と刻まれていますから、三十一世日泰上人によって元文4年(1739)4月に造立されたことがわかります。この13上人は、何れも一人一人個別の石塔がありません。恐らくは明応七年(1498)・元禄16年(1703)の地震・津波や長年の風化などによって個々の石塔が失われたため、歴代上人への報恩謝徳の意を込めて造立されたものでしょう。
十七世日税上人以降は、個々の石塔が造立されています。日税上人の石塔は五輪塔ですが、他の石塔は概ね塔身を角柱とした形式です。次に二、三について見てみましょう。
十七世日遵(にちじゅん)上人の石塔は、正面に「妙法当山第十九祖大僧都日遵聖人」右則に「承応三年甲午」左側に「十月三日卒」と、遷化(せんげ・死去)の年月日が刻まれているだけの簡素なものですが、最も多いタイプです。二十二世日明上人の石塔のように、師匠の名、両親の法号・命日が刻まれているものもあります。また、四十九世日闡・五十世日楹両上人の石塔には、両上人の代に亙って進められた祖師堂再建の経過について、安政4年(1857)日楹上人自らが記した文章が刻まれています。歴代貫首上人の石塔は、思いの外に誕生寺の歴史を語っているのです。