37.龍王殿の供養塔
貴賓殿・客殿に囲まれた奥庭に続く山を登ると、杉木立の中に龍王殿があります。龍王殿は、有栖川(ありすがわ)宮家代々の位牌をお祀りするお霊屋(たまや)として、明治23年(1890)12月に建立されました。この龍王殿の境内、門を入った右手に2基の石塔が並んで立てられています。
左側は宝塔形式の石塔です。基壇を二段構えとして、蓮華座に乗った基礎、その上にやはり蓮華座に乗った塔身、さらに笠、相輪と積み上げられた高さは3m50cm程あります。これが1m4cmの基台の上に立てられていますから、総高は4m50cmを越えます。塔身は、蓮華の上に乗った円相が浮き彫りにされ、その中央に「南無妙法蓮華経」、右に「南無本師釈迦牟尼仏」、左に「南無高祖日蓮大菩薩」と刻まれ、御本尊を表しています。
基礎の正面には「為忠勇戦死各神霊等追弔供養塔」と刻まれます。造立の日付は明治30年(1897)8月如意珠日でしたから、明治27年(1894)の日清戦争の戦死者を供養するために造立された塔であることがわかります。基礎の左右の側面には「諸法従本来常自寂滅相仏子行道己来世得作仏(諸法は本より来(このかた)、常に自ら寂滅(じゃくめつ)の相なり。仏子、道を行じ己(おわ)って、来世に作仏することを得ん)」と、法華経方便品の一節が回向の意味を込めて刻まれています。造立の施主は、勝光院、室町清子、高倉寿子、柳原愛子をはじめとする10名の宮中の女房方でした。
右側は、板状に切り出したままの石材を塔身に、自然石を台石に用いた右碑です。塔身の寸法は大体のところ、縦1m53cm、横70cm、厚さ9cmあり、さらに台石が高さ65cm、基台が高さ1m3cmありますから総高は3m21cmに及びます。
四角く彫り込まれた碑面には「二重橋櫓下発掘人骨埋葬碑」と刻まれています。皇居の二重橋を建設した時、多くの人骨が出土しました。その埋葬供養のため六十七世貫首今井日誘上人の代、大正15年(1926)2月15日に造立されたものです。碑文は日蓮宗信徒であった小笠原長生子爵の揮毫になり、碑の裏面には同氏と亀井満成氏の和歌が刻まれています。亀井氏の歌を掲げると「たれといふ名はしらねとも今手とり法の教をまもる人かな」とあります。
二基の供養塔に、宮中における法華経信仰の篤さが窺われます。