千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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44.誕生寺と震災

44.誕生寺と震災

誕生寺は開創以来、二度にわたって境内地を移転したことが伝えられています。『千葉県安房郡誌』(大正15年発行)には、明応7年(1498)8月23日の地震・大津波によって土地が陥没し伽藍も没したため妙の浦に移転し、元禄16年(1703)11月21日に再び津波の被害に遭い現在地へ移転したと記されています。

明応7年の地震は8月25日辰の刻(午前8時頃)に起き、伊勢、三河、駿河、伊豆の各地に津波が押し寄せて多数の犠牲者が出たことが、種々の記録にあります。清水市海長寺(当時は海上寺)では、本堂をはじめとする建物が悉く破滅し、また小川にあった末寺の上行寺は大津波によって建物が流失したばかりでなく、法要のために滞在していた海長寺八世の日円上人をはじめとする人々が悉く波にさらわれてしまいました。内陸部でも、大きな被害が出ました。身延山では、諸堂が悉く倒壊して河原のようになり、坊も悉く流失したことが、海長寺九世日海上人によって記録されています(『日海記』)。関東地方では、この地震による被害がどれほどであったのか、十分な記録がありません。誕生寺についても、残念ながら実際のところは未詳です。

元禄16年の地震は、11月22日丑の刻(23日午前2時頃)に起きました。震源は房総半島南端の野島崎南方沖合約30キロメートル、マグニチュードは8.2と推定され、南開東一円に被害を与えた大地震です。「大揺は3度、小揺は数を知らず、一刻の中に3、40揺りに及ぶ、地震の前に地鳴ること雷のごとし」といい、江戸城をはじめ江戸市中の被害は甚大で、火災も発生し、死者・けが人は数え切れないほどであったといいます。房総半島をはじめ、相模、伊豆などの海辺では津波による被害も甚だしく、家屋の流失はもとより多数の死者がでました。九十九里浜に続く海岸平野では、標高が海抜数メートルということもあり、死者2千人を数えたといいますから、いかに大津波であったのかがわかります。

ところで、誕生寺は元禄16年の大地震後に現在地に移転したのではないことが、元禄13年(1700)12月6日付『房州長狭郡内浦之内市川村と小湊諍論ニ付裁許絵図』(口絵写真2)によって判かります。誕生寺は、はっきりと現在地に描かれていました。それにしても、小湊では津波によって164名が亡くなり、次の年、供養のため永代廿二日講が結ばれています。

 

房州長狭(ながさ)郡内浦之内市川村と小湊諍論二付裁許絵図