千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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45.江戸時代の伽藍

45.江戸時代の伽藍

祖師堂をはじめとする誕生寺の主要なお堂は、宝暦八年(1758)の大火によって焼失した後、順次再建されたものです。大火以前の境内の様子については、寛政三年(1791書写された『誕生寺絵図』(口絵写真3)が、原図の製作年代は明確ではないものの貴重な資料です。この境内図は、現在の誕生寺のお堂の配置とはかなり異なり、境内地左手の山際には三重塔があります。

言い伝えにも、三重塔は参道左手の日蓮聖人ご幼像の前、枝を大きく広げる老松の辺りに建てられていたと言われてきましたが、それを裏付ける新たな史料が見いだされました。元禄十三年(1700)十二月六日付の『房州長狭(ながさ)郡内浦之内市川村と小湊諍論ニ付裁許絵図』(口絵写真2)と『市川村小湊村絵図』です。二枚の絵図は、境内の様子そのものを描くことを目的としたものではありませんが、現代の地形図とも比較ができる程のもので、前者は特に公的な証文として作成されたものでしたから、信頼性が高いと考えられます。そして両絵図を見ると、境内左手の山際に三重塔が描かれています。それでは、三重塔が建立されたのはいつ頃のことでしょうか。そこで、誕生寺とは開創を同じくした勝浦市興津妙覚寺の記録である『上総国興津村広栄山妙覚寺継図写』を見ると、「古湊(小湊)宝塔モ同時立中候、同(寛永十九年)五月ヨリ大工四十人居申候、同九月出来申候、正保元年甲申四月八日塔供養成サレ候、古湊十八代日遵聖人ノ御代ナリ」と記されています。宝塔すなわち三重塔の建立は寛永十九年(1642)、十九世長遠(じょうおん)院日遵(にちじゅん)上人代のことであったのです。最近、千葉県香取郡干潟(ひかた)町の平山高書氏から、三重塔の建立について大変貴重な史料が寄せられました。日遵上人が、備前法華として有名な岡山の蓮昌寺(れんじょうじ)とその末寺に宛てた書状です。八月十日付で、内容から寛永十九年のものと判ります。「三重の宝塔」建設が中々はかどらないこと、今年は全国的な飢饉に見舞われ、申し入れるのも心苦しいことではあるが、秋にもなったので檀信徒への勧募をお願い申し上げる、そして「仏法のため、又は祖師御誕生の霊地にて候間、是非ご苦労ながらご奉加を希(ねが)う所に候」と結ばれていました。当時、不受不施制をめぐる幕府、宗門内の対立の渦中にあった誕生寺を、日蓮聖人誕生の霊地として護持しようとする苦心の程が偲ばれます。

 

『誕生寺絵図』(口絵写真3)

『房州長狭(ながさ)郡内浦之内市
川村と小湊諍論ニ付裁許絵図』(口絵写真2)