千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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47.祖師堂の建立と棟札

47.祖師堂の建立と棟札

誕生寺の堂塔伽藍は、宝暦八年(1758)の火災によって殆ど消失しました。復興は順次進められていきましたが、最後に残されたのが祖師堂です。蘇生願満の日蓮聖人像を安置するのにふさわしい祖師堂を再建することは、歴代貫首をはじめ、檀信徒の悲願であったことでしょう。

再建に着手したのは、天保三年(1832)三月に入山した四十九世一乗院日闡(にっせん)上人です。祖師堂再建のためには、莫大な浄財を募る必要があります。日闡上人は一人でも多くの檀信徒に縁を結んでもらうために、十万人講を発足させました。

起工は日闡上人が入山した天保三年の十一月です。祖師堂は関東地方でも有数の規模を誇る大きなお堂でしたから、工事もなかなかに大変です。十年の歳月をかけ、天保十三年(1842)三月十五日、漸く上棟式を迎えました。上棟式は、建物に災禍が起こることなく、居住者が永遠に繁栄するように神仏に祈る儀式です。この時、棟札(むなふだ)を棟木に揚げます。

祖師堂の棟札は、今まで見つかっていませんでしたが、伝わっていたのです。大切に護持してきた方の遺族から奉納されました。棟札は日闡上人自らが筆を勃ったもので、高さ1メートル51センチ、幅は上端の最も広い部分が42センチ、下端が30センチと、人の背丈ほどもある大型のものです。

棟札の表面には、曼荼羅本尊が書写され、下部に日闡上人の自署・花押があります。脇には、祈願のために法華経並びに開経・結経を三千部読誦したことが記されています。裏面には、建築に携わった人々、十万人講の惣世話人の名前が書き連ねられています。棟梁は館山楠見浦(くすみうら)住人の小高吉右衛門尉藤原定興と記されていましたから、江戸や京都ではなく地元の棟梁によって建築されたことがわかります。このように大規模なお堂を建築するだけの技術を持った棟梁が、地元にいたことに驚かされます。

天保十五年(1844)五月、日闡上人は再建の業半ばにして身延山久遠寺六十三世に晋まれます。その後を嗣いで五十世となったのが、智鏡院日楹上人です。日楹上人は、日闡上人のもとで院代を務めていましたから、祖師堂再建の事業を引き継ぐには打って付けです。

上棟式から四年後の弘化三年(1846)三月、いよいよ完成です。起工からは実に十四年になります。落慶式には法華経一千部読誦の法要が行われました。