千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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50.江戸時代の境内

50.江戸時代の境内

現在の誕生寺の諸堂は、仁王門を除いて宝暦8年(1758)の大火以後に復興されたものです。では大火以前の境内はどの様であったのかというと、先に紹介した木版『小湊山絵図』に描かれています(下写真)。そこで、この絵図によって、境内を巡ってみることにしましょう。

まず総門は、誕生寺から妙蓮寺へ向かい、妙蓮寺への参道入り口の先にある市川に架かる橋を渡った場所にあります。「現瑞道場」の扁額が掲げられ、日蓮聖人の誕生という誠に勝れた縁のあるお寺であることを語っています。現在の総門の辺りには、黒門があります。門の前には、下馬札と共に境内が朱印地であることを示す「御朱印」の札が立てられています。乗馬の武士も、ここから先は歩いて参詣しなければなりません。

参道の左手には、常題目堂、誕生堂、愛宕明神社、えいしん院、七面明神社が、また山手に稲荷社がみえます。常題目堂は、朝夕の勤行に限らず一日中お題目を唱えるためのお堂です。えいしん院の詳しいことは分かりません。塔頭(たっちゅう)の西之坊は、四院家として恵性院と称したようですから、同院のことでしょうか。現在は、誕生堂とその上段の山手に太田稲荷堂があります。

右手には、鐘楼、誕生水、子安明神社、えなの松があります。現在の誕生水は参道の左手ですから、移転したものでしょうか。

参道をまっすぐ進み階段を上ると、仁王像を安置した三門があります。現在の仁王門がこれに当たり、絵図中の諸堂で唯一現存するものです。宝永2年(1705)の建立と伝えられます。

三門からの参道左手には、雨降り桜、常経堂、大仏、三重塔が並び、山手には天道松があります。

雨降り桜は小湊七不思議の一つに数えられ、旧暦10月12、3日のお会式の頃に花を咲かせるという桜です。常経堂は、交代で一日中お経を読詞するためのお堂です。現在の祖師堂には、かつて二十六世貫首日孝上人代の宝永元年9月に山田氏兄弟が施主となって鋳造奉納した「房州小湊山誕生寺常経堂」の半鐘が伝えられていましたから、常経堂の建立は同年を遡ることになります。大仏は銅像で、お堂の中に安置されています。日孝上人代の宝永4年(1707)に鋳造奉納されたもので、施主は江戸神田鍛冶町の山田吉平・同太良兵衛です。恐らく半鐘の施主と同一人物でしょう。三重塔は寛永19年(1642)の建立です。天道松は日孝上人の「小湊山二十四境」にも掲げられています。

三門からまっすぐ進むと、現在の祖師堂がある辺りは一段高くなり、階段を上ると廊下でつながれたお堂が三棟並んでいます。左側は一番大きく、祖師堂です。十八世日延上人の代に建立されました。中央は万仏堂です。二十六世日孝上人の代に建立されました。右側は一番小さく、牌堂です。正徳3年(1713)二十七世日裕上人代に建立された月牌(がっぱい)堂でしょう。左手の山際には鬼子母神堂があり、墓地の石塔もみえます。

方丈や書院、客殿、対面所が建ち並ぶ本院は、現在と同じ場所です。鎮守の番神社も、現在の小湊神社の場所です。

絵図には、この他に門前町や坊中(塔頭)、弁天(島)、蓮華淵など小湊の全域が描かれていましたから、参詣の人々にとり良い手引きとなったことでしょう。