千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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53.江戸時代の年中行事(二)

53.江戸時代の年中行事(二)

江戸時代初期の年中行事について、引き続き延宝8年(1680)3月9日付の『高光山年中行事』によって窺ってみましょう。今回は、日蓮宗にのみ行われる独自の行事についてです。

先ず宗祖日蓮聖人の様々な聖日に行われる法会があります。2月16日の「祖師御誕生会」は、聖人が貞応元年(1222)2月16日小湊に誕生されたことをお祝いします。聖人誕生の霊跡である誕生寺にとって、最も大切な法会の1つであるといえます。

5月12日の「伊東御難会」、9月12日の「龍口御難会」、11月11日の「小松原御難会」は、聖人が法華経の教えを弘める中で受けた4度の大きな法難を記念したものです。

最初の法難は、39歳の文応元年(1260)8月27日、鎌倉松葉谷の草庵を夜襲された松葉谷法難ですが、特別な法会は行われていません。2度日の法難は、40歳の弘長元年(1261)5月12日、幕府に逮捕されて伊豆国伊東へ流罪されます。3度日の法難は、43歳の文永元年(1264)11月11日、安房国小松原(鴨川市)で地頭東条景信の一行に襲われ、自身は頭に傷を負い腕を折られたばかりでなく、弟子鏡忍房と信徒工藤吉隆が討死します。4度目の法難は、50歳の文永8年(1271)9月12日、幕府に逮捕され表向きは流罪として真夜中に刑場である龍口(たつのくち)で危うく斬首されるところを不思議に免れ、生きては帰れぬという佐渡へと流罪になります。

聖人は武蔵国池上(東京都大田区)において弘安5年(1282)10月13日、61歳をもって入寂されました。10月12、13日の「祖師大会」は、この御命日に聖人への報恩感謝を捧げる法会です。日蓮宗における最も重要な法会で、御会式(おえしき)として一般にも広く知られています。正月13日にも、「祖師奉謝」として法会が行われていました。

この他、6月4日には伝教大師最澄をお祀りする「伝教大師講」、11月24日には中国の天台大師智顗(ちぎ)をお祀りする「天台大師講」が、それぞれの命日を期して行われていました。両大師とも天台宗の祖師方ですが、聖人は法華経を弘めた先師として深く尊崇していました。

誕生寺独自の行事もあります。7月10日の「建立開基日家聖人会」は、日家(にけ)上人の亡くなられた正和4年(1315)7月10日を期して、その遺徳に感謝を捧げる法会です。誕生寺では初祖を日蓮聖人に仰ぎますが、実際に寺を開かれたのは弟子の寂日房日家上人でした。

8月15日の「妙日妙蓮会」は、日蓮聖人のご両親に回向する法会です。父君は俗名を貫名重忠、聖人から授かった法名を妙日といい命日は正嘉(しょうか)2年(1258)2月14日、母君は梅菊、同じく法名を妙蓮といい命日は文永4年(1267)8月15日であると伝えられていましたから、2月の諸法会と重ならない8月に行われたのでしょう。

これらの行事の中で、近国の諸末寺が登山して営まれる最も重要な法会は、「日家聖人会」と「祖師大会(御会式)」でしたが、江戸時代後期と考えられる『小湊山年中行事』では「日家聖人会」が「祖師御生会」へと変更されていました。小湊の地が、日蓮聖人誕生の霊跡であることを高く掲げた結果でありましょう。