千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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59.水戸綱条と誕生寺

59.水戸綱条と誕生寺

水戸の黄門様として有名な光圀の後を嗣いで水戸藩第3代藩主となったのは、綱条(つなえだ)です。光圀は、水戸藩を嗣ぐべきであった兄頼重が高松藩松平家を嗣いだために水戸藩を嗣ぐことになったことから、自分の跡取りに頼重の第2子綱条を迎えました。光囲の法華経信仰は有名ですが、綱条も夫人と共に法華経を篤く信仰しています。

誕生寺には、綱条自らが書写した法華経の写経が伝えられています。この写経は紺紙に金泥で界線(書写のためのワク)を引き、文字も金泥を用いて書写されていますが、全8巻のうちの第3巻までと、第4巻、第5・6巻、第7・8巻では筆跡が異なっています。そこで第8巻をみると、末尾に身延山三十三世遠沾院日亨上人筆になる奥書があり、筆跡が途中で異なるに至った事情が記されています。

網条は深く法華経を信仰し、金字をもって法華経全巻を書写して宗祖日蓮聖人の霊跡に納めることを発願しました。身延山、池上と2ヵ所の霊跡には書写を遂げて納経したのですが、小湊に納経するべく書写していた法華経は、途中の第3巻に至って享保3年(1718)9月11日に綱条が63歳で没したために、成就することが出来ませんでした。そこで、綱条に恩顧を蒙った僧侶が遺志を継いで、残る5巻を書写して全巻を揃え、誕生寺に納めたのです。第4巻は江戸神楽坂善国寺九世の元至院日観上人、第5・6巻は谷中瑞輪寺十四世の乗妙院日感上人、第7・8巻は下谷善立寺(現在は足立区に移転)七世の智覚院日順(日純)上人が筆を執りました。日亨上人の奥書は享保3年12月11日付でしたから、百ヵ日忌を期して命日に菩提を弔ったものでしょう。法華経と共に金銅の華瓶・燭台・香炉なども納められました。

誕生寺の他に知られている事跡の二三を示すと、元禄15年(1702)10月、自らが書写した法華経と七宝の数珠などを身延山に寄進したことが記録されています。先の奥書に記された納経の一つでしょう。佐渡妙経寺には、元禄16年仲秋、紺紙に金泥で書写した法華経如来神力品が伝えられています。宝永4年(1707)8月には「経王宝殿」の額字を揮毫し、光圀が開創した水戸久昌寺に納めています。現在、本堂正面に掲げられているいる扁額がこれです。享保2年(1717)にも、池上本門寺に経蔵を、更に藤堂高敏と共に鬼子母神堂を寄進しています。没する享保3年3月には、光圀住居の旧跡に慧日庵を建て、速沾院日亨上人をその主としています。庵の建立は、父の菩提を永く弔う最後の親孝行といえましょう。