千葉県鴨川市 大本山小湊誕生寺 公式サイト

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61.徳川家ゆかりの位牌

61.徳川家ゆかりの位牌

本堂の須弥壇(しゅみだん)背後にある部屋は、各家の先祖や亡き人の菩提を弔うため特別に納められた位牌を安置する永代納牌壇になっています。ここに安置された位牌の中には、一般家庭の仏壇に安置する位牌に比べて大型なものが何基もあり、江戸時代の年号が記されているものもあります。

正徳3年(1713)二十七世日裕上人の代には、6間4面の月牌堂が建立されました。その後のお堂の変遷については、大火などもあり明らかではありませんが、江戸時代以来、納められた位牌が連綿として安置され、朝夕の勤行の折りに回向供養されてきたことは間違いありません。

大型位牌の一つに、徳川の家紋である三つ葉葵の紋が入ったものがあります。「安祥院殿受徳光潤大姉」とあり、高さ33.5センチメートル余り、命日は「寛政元己酉年(1789)四月上浣(上旬)六日」と記されています。位牌の裏側に記された銘文には、当山四十二世日沾上人の代である寛政元年8月に、清水宰相重好卿の御母堂の永代回向料として金百両が寄進されたとありますから、安祥院殿は徳川家御三卿の一つである清水家初代重好の母であったのです。

御三卿は、田安・一橋・清水の三家です。前二家は、八代将軍吉宗の庶子を初代とします。賄料として三家それぞれに十万石を給せられていましたが、尾張・紀伊・水戸の御三家のように領地を持つ独立した藩ではありませんでした。

安祥院殿は於遊喜の方といい、九代将軍家重の側室です。父三浦五郎左衛門義周が浪人であったため、松平又十(八とも)郎親春の養女として江戸城大奥に仕えました。そして延享2年(1745)に万次郎を生みます。万次郎は宝暦8年(1758)屋敷地を賜り、翌年元服して重好と称し、清水家初代となります。同11年(1761)に家重が没すると於遊喜の方は落飾し、安祥院殿の法号を浄土宗増上寺の妙誉定月上人からいただいています。そして寛政元年(1789)に69歳で没し、普門院へ葬られました。普門院は、上野(台東区上野公園)にある天台宗寛永寺の塔頭三十六坊の中の一つです。

記録によれば、安祥院殿の位牌が出来上がったのは寛政2年3月のことで、内外の厨子を殊に念入りに造り、位牌の裏には月牌料の事について詳しく書き付けられているとあります。そして3月6日には、安祥院殿が御自身の念持仏としてお詣りされていた日蓮聖人の尊像も、晩年住まわれていた桜田御殿から誕生寺に預けられました。このように於遊喜の方は、徳川将軍家の宗旨である浄土宗・天台宗の中にありましたが、自分自身の信仰はあくまでも日蓮宗にあったのです。